目次
第57巻 第1号(通巻225号)
2010年6月
展 望
発掘調査資格の国際比較
小川裕見子
考古学の方法論を見直す—形式・時代・境界—
考古学研究会東京例会・石器文化研究会合同シンポジウム開催報告
野口淳
河内大塚古墳(大塚陵墓参考地)の墳丘立入り観察
大久保徹也
論 文
粘土帯土器文化期から原三国時代の社会と副葬習俗の変化
中村大介
要旨 粘土帯土器文化期から原三国時代前期の変遷については,土器や青銅器からの検討はあるが,葬送儀礼からの検討はない。そこで,この時期の編年を提示し,副葬土器の種類と配置の変化に着目した。その結果,多鈕細文鏡成立後には副葬される土器の種類と配置に変化が生じ,原三国時代には副葬土器の種類と数量がより増加するともに,一つの墓壙での土器副葬の回数が複数化することが明らかになった。このことは,粘土帯土器文化を基盤に政体が成長し,葬送儀礼も複雑化していったことを示す。また,粘土帯土器文化期に棺よりも高い位置に副葬する上層副葬が出現するが,これは辰韓・弁韓のみで継承され,馬韓では消滅することも判明した。従って,韓半島の東西では,漢文化からの影響の受け方も含め,政体の成長過程が異なっていたことが指摘される。
キーワード
粘土帯土器文化,原三国時代,副葬土器,上層副葬
倭における有機質製帽冠の系譜とその展開
小黒智久
要旨 5世紀中葉〜6世紀末葉の倭の首長が採用した冠は主に金属製だったが,有機質製帽冠も少数ながら存在した。主に倭王権の有力首長が金銅製広帯二山式冠を採用した6世紀には,少数の地域首長・新興首長が有機質製帽冠を独自に採用した。有機質製帽冠は,百済から数回もたらされた情報等を基礎としつつ,独自に製作/入手された。
推古朝は,従来とは異なる冠の体系であることを示すため,それまで重視してきた金銅製広帯二山式冠ではなく,6世紀末葉の地域首長が採用した百済系有機質製帽冠に着目し,百済官人の帽冠に関する情報も加味して,冠位十二階の表徴としての冠を創出したと考えられる。7世紀になると,有機質製円縁式帽冠が冠の主体を占めた。
キーワード
古墳時代,有機質製円縁式帽冠,地域首長,百済,推古朝
研究ノート
スイジガイ由来の器財と文様
加藤俊平
要旨 古墳時代に登場するスイジガイ製遺物や関連文様に焦点をあて,その系譜関係の再点検を行った。重視したのは管状突起への加工と正面観の問題であり,この視点なくして,形態比較や文様表現の基本が押さえられないと考えた。これによりスイジガイ釧は南西諸島で縄文時代併行期以来,断続的に利用されたスイジガイ製利器と同じ系譜をもつものだといえ,その形態は長期的伝統性をもつ「鉤の呪的観念」に由来するものと結論づけた。また古墳時代後期の双脚輪状文についてもこの系譜上にあり,それはスイジガイを腹面からみた図柄と理解した場合に説明が可能になる。
キーワード
スイジガイ,利器貝釧,双脚輪状文,腹面構図,呪的伝統
近江系飛雲文軒瓦の年代と背景
中西常雄
要旨 近江系飛雲文軒瓦の年代観は分かれており,分布に偏りがみられる。本稿では,飛雲文軒瓦と組み合うとされた承和11年(844)銘瓦と惣山遺跡出土瓦を比較し,近江国庁とその関連遺跡での型式ごとの出土数を検討した。その結果,国庁での飛雲文軒瓦の製作と使用は,8世紀第3四半期を中心とする時期から,大きく下らないことが分かった。分布の背景については,飛雲文軒瓦が出土する遺跡の性格や瓦の考察から,国衙系列,南滋賀廃寺系列に関わらず,直接的あるいは間接的に近江国衙が関与していると推測した。県外での出土についても同様に考えられる。
キーワード
近江系飛雲文軒瓦,年代,国衙系列,南滋賀廃寺系列,近江国衙
書 評
春成秀爾・小林謙一著
『国立歴史民俗博物館研究報告 愛媛県上黒岩遺跡の研究』
栗島義明
考古学の新地平
戦争遺跡を問い直す(1)近代の戦争と考古学—大阪府内の戦争遺跡の検討から—
江浦 洋
地域情報
北海道だより
青野友哉
日本の遺跡・世界の遺跡
岡山県岡山市 造山古墳
岡山大学考古学研究室
台湾 南科遺跡
野林厚志
考古学研究会第56回総会・研究集会報告
会員つうしん
委員会つうしん