考古学研究会
<考古学研究会事務局>
〒700-0027
岡山県岡山市北区清心町16-37長井ビル201
TEL・FAX 086-255-7840
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会誌『考古学研究』
目次
第57巻 第2号(通巻226号)
2010年9月
展 望
第14回戦争遺跡保存全国シンポジウム南風原大会参加記岩﨑紅美
文化財保存全国協議会第41回鞆大会参加記
井田 智
考古学研究会第56回総会研究集会報告(上)
縄文時代における階層性と社会構造−研究史的理解と現状−山田康弘
要旨
研究史的に見た場合,縄文階層社会論が本格的に唱えられるようになったのは,この20年ほどの間のことである。その賛否には両論あるが,これが縄文社会の研究に対して一石を投じたことは間違いない。現在は沈静化している縄文階層社会論であるが,その研究スタンスには多様なものがあり,一概に肯定や否定をすることはできない。また,墓制の個別的議論によれば,階層差と捉えてもおかしくない状況が示唆されており,今後は縄文社会が成層化していた可能性を考慮しながら検討を行う必要があるだろう。なお,縄文時代における階層性の有無やその程度を議論するには,墓制の個別具体的な検討だけではなく,居住形態や生業形態,集団構造,精神文化等を考慮した総合的な視点から検討を行わなければならない。
キーワード
縄文時代,階層社会,平等性,墓制,社会構造
弥生社会の組織とその成層化−コミュニケーション・偶発性・ネットワーク−
溝口孝司
要旨
小論は,弥生社会の主要な組織的特質の一つが,居住単位としての集落を横断するソダリティーの存在であり,その機能に依拠する種々のコミュニケーションの維持・再生産のための機構の生成と変容が,弥生社会の歴史的変容の実態であったことを論じる。
キーワード
コミュニケーション,成層化,中心化,ネットワーク分析,弥生時代
論 文
生産地分析からみた北武蔵の埴輪生産城倉正祥
要旨
北武蔵の姥ヶ沢・桜山埴輪窯を対象とし,刷毛目の同定を武器とした分析を行った。特に,刷毛目が共通する埴輪群(刷毛目共通類型)が,型式的距離の近い個体で構成される点を確認し,限られた工人によって限られた期間に製作された点を推定した。さらに,設定類型の前後関係を窯の切り合いから確認し,生産の諸段階を復原すると同時に,刷毛目の同定から製品の供給古墳を特定し,両窯における生産と流通の様相を把握した。
その成果を踏まえた上で,北武蔵における埴輪窯の様相を比較検討した。結果,①首長墓群への主体的供給を行いながら,供給エリアを東京湾まで拡大させる「拠点生産地(生出塚窯)」,②比企・大里を中心として近隣の中小墳への供給など地域密着型の生産を行いながら,首長墓への大型品を断続的に供給する「衛星生産地(姥ヶ沢・権現坂・桜山・和名窯)」の二者を見出した。北武蔵では埼玉古墳群を頂点とする地域社会の階層秩序の下で,6世紀後半に「拠点・衛星二重構造型」の生産体制が確立していたのである。
その成果を踏まえた上で,北武蔵における埴輪窯の様相を比較検討した。結果,①首長墓群への主体的供給を行いながら,供給エリアを東京湾まで拡大させる「拠点生産地(生出塚窯)」,②比企・大里を中心として近隣の中小墳への供給など地域密着型の生産を行いながら,首長墓への大型品を断続的に供給する「衛星生産地(姥ヶ沢・権現坂・桜山・和名窯)」の二者を見出した。北武蔵では埼玉古墳群を頂点とする地域社会の階層秩序の下で,6世紀後半に「拠点・衛星二重構造型」の生産体制が確立していたのである。
キーワード
埴輪,生産遺跡,刷毛目共通類型,拠点生産地,衛星生産地
7世紀末〜8世紀における土師器煮炊具の地域色
−大和高原北部,奈良県山添村大西塚ノ本遺跡が属する地域の検討−
井戸竜太
要旨
奈良県山添村大西塚ノ本遺跡の8世紀代に比定される土師器煮炊具は,受口状口縁を特徴とする甕が主要器形となる。山添村の隣接地域においても,同様の甕が主体を占めており,これらの甕はいわゆる「近江型」土師器甕として,近江特有の地域色と考えられてきた。しかし,近年では広域な「近江型」土師器甕の分布圏内において,細部の特徴差を手掛かりに小地域色が指摘されてきている。本論では,いわゆる「近江型」土師器甕の主要な特徴の1つである,受口状口縁部形態の比較検討を通して認識された型式の類似性や差異から,小地域の存在を確認し,その中で大西塚ノ本遺跡が伊賀,名張と生活文化圏を共有する実態の一端を把握することができた。
キーワード
「近江型」土師器甕,受口状口縁,型式,変異(幅),小地域
研究ノート
古墳の墳丘高−吉備南部における変遷から−宇垣匡雅
要旨
古墳の墳丘を構成する諸要素のうち,高さが検討の対象となることは少ない。小論では,おもに吉備南部の資料を用いて前方後円墳後円部の相対的な高さと斜面角度の変遷を検討した。墳丘の高さは前期以降漸減していくが,7期から増大に転じ,8期にそのピークをむかえる。墳丘斜面の角度は前期から中期後半まで27°を基本的とするが,墳丘高の増大とともに40°前後の急角度に変化する。5世紀末は古墳の変革期であり,朝鮮半島から新たな要素が導入されるが,墳丘高の増大も朝鮮半島の墳墓の影響によるとみられる。また,それまで,古墳の築造を規定するものが長さであったのに対し,ここで新たに高さという要素が加わった可能性がある。
キーワード
古墳,墳丘,高さ,斜面角度,葺石
古代、金属装鉄刀の暦年代
福島雅儀
要旨
小論では,古代金属装鉄刀の暦年代について,鉄刀構造の変化と群集墳の盛行年代の対比から,再度の説明を加えた。暦年代の定点とする兵庫県箕谷2号墳出土戊辰年鉄刀の暦年が,668年となる根拠と理由である。この鉄刀暦年代は,白石太一郎の古墳時代暦年代観(白石1982など)と整合するが,それはあくまでも結果である。
キーワード
古墳時代,鉄刀編年,装飾付鉄刀,古代武器,箕谷2号墳
書 評
野島永著『初期国家形成過程の鉄器文化』魚津知克 文化庁文化財部記念物課・奈良文化財研究所編
『発掘調査のてびき』−集落遺跡発掘編− −整理・報告書編−
文化財保存問題委員会
考古学の新地平
戦争遺跡を問い直す(2)韓国考古学における戦争研究の現状中村大介
史跡公園は今・保存と活用への新たな動き
人が集い心の宿る琉球のグスク−今帰仁城跡−宮城弘樹
日本の遺跡・世界の遺跡
富山県砺波市 久泉遺跡野原大輔
オマーン バート(Bat)遺跡群
近藤康久