考古学研究会
<考古学研究会事務局>
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岡山県岡山市北区清心町16-37長井ビル201
TEL・FAX 086-255-7840
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会誌『考古学研究』
目次
第58巻 第4号(通巻232号)
2012年3月
展 望
特集 震災に向き合う考古学(2)宮城県の津波痕跡縄文時代における津波痕跡と文化財保護に関する問題
相原淳一
発掘調査で検出された仙台平野の津波痕跡
斎野裕彦
口蹄疫・新燃岳噴火・東日本大震災
『考古学から「今」を考える』講演会参加記
松本 茂
考古学研究会第57回総会研究集会報告(下)・コメントと全体討議
古墳築造周縁域における境界形成—南限社会と国家形成—橋本達也
要旨 本論では,古墳時代の境界域の分析から,日本考古学における空間認識について再考を試みるものである。とくに,九州南部における南の境界域の研究は,文献上の隼人といった異民族を前提として考古資料を解釈することが支配的で,他の境界域の研究と比して立ち後れてきた。本稿では,まずこれまでの九州南部の古墳時代研究の状況を確認し,その上で,近年明らかになりつつある成果から地域実態を整理し,境界性が生み出される背景を考察する。さらに,西の境界や北の境界との比較を通して,古墳時代境界の構造の特質を捉え,律令国家段階へ至る変動の把握を試みる。
キーワード 古墳時代,境界域,首長墓系譜,九州南部,隼人
埋めこまれた「原日本」—繰り返されるミネルヴァ論争—
矢野健一
要旨 縄文土器編年論争では,地域的土器型式の系統的存続を主張する見解とそれに否定的な見解が対立することがしばしばある。その対立の構図は,昭和初期に「原日本」人の概念が一般化した頃の「ミネルヴァ論争」と共通することを指摘する。ミネルヴァ論争は,対立する論者双方が縄文と日本との関係を強く意識して議論を展開している。同様に,縄文文化の地域的多様性を強調する「地域主義」的縄文文化観も,現在の日本の統一体としての枠組みに批判的であるように見えながら,日本の多様性の根源,ひいては日本の根源を縄文文化に求める見解に同調せざるを得ない状況にある。その意味で,縄文土器編年論争は原日本の確認を詳細に行なっているにすぎない。この状況を脱するには,縄文時代の歴史的変化の意味の分析を,より積極的に進める必要がある。
キーワード 縄文,編年,ミネルヴァ論争,地域,様式
コメントと全体討議
考古学研究会第58回総会講演「現代社会と考古学」要旨
考古学による日朝関係史研究の現状と課題高田貫太
考古学研究会第58回総会研究集会趣旨説明・報告要旨
<日本考古学>の研究方法と理論矢野健一・辻田淳一郎
集落址研究と時間尺度
石井 寛
弥生土器様式論
大塚達朗
古墳時代首長墓系譜論の系譜
下垣仁志
日本考古学の方法論—北アメリカ考古学との比較から—
佐々木憲一
論 文
多賀城の墓制—集団墓地と単独墓—柳澤和明
要旨 多賀城では,8世紀末の桓武朝の蝦夷征討を契機として,坂東より大量の人・物資が集積された。城内では政庁と実務官衙の整備,城外では南北道路・東西道路による方格地割の形成が進められ,「古代地方都市」として多賀城が発展した。9世紀後半を中心とする頃には,方格地割外北部の河川敷に集団墓地が営まれるようになった。多賀城に大被害をもたらし,溺死者千人と記された貞観11年(869)陸奥国巨大地震は,集団墓地形成の契機になったと考えられる。方格地割外北部の河川敷における集団墓地は,多賀城においても平城京,平安京,大宰府と同様の都市規制が強く働き,これが国府域外であったことを示し,多賀城が「古代地方都市」であったとする平川南氏の見解(平川1999)をさらに補強するものである。また,方格地割内や周辺の道路上における単独墓は,平安京・長岡京内の道路上における単独墓と様相が類似する。
キーワード 多賀城,古代地方都市,集団墓地,単独墓
イラン北部,鉄器時代における葬送儀礼の機能的変化
有松 唯
要旨 イラン・イスラム共和国の北部山岳地帯では,鉄器時代(前1450〜前330年)に葬送関連の物質文化が発達した。本稿ではこの事象を物質化(materialization)の一形態ととらえ,社会的機能と通時的変化の解明を目的とし,副葬品を実見した知見を中心に分析を行った。その結果,葬送儀礼様式の脱儀礼化と薄葬化という変化が指摘できた。これは葬送儀礼が物質化機能を損失する過程としてとらえることができる。さらにその機能的変化は,大局的には脱威信財システムという側面をもつ権力資源の変化,それに伴うイデオロギー装置の変容という文脈で解釈することが可能だった。こうした事例から,階級秩序や国家形成といったより安定的且つ恒常的な社会構造の確立を検証するには,葬送儀礼のような非日常的物質化手段からより実質的なイデオロギー装置に如何に移行したのかという視座が有意であることを指摘する。
キーワード 威信財,権力,イデオロギー,国家形成,アケメネス朝ペルシャ
書 評
福岡市史編集委員会編『新修福岡市史』資料編考古③遺物からみた福岡の歴史
次山 淳
地域情報
史跡公園は今・保存と活用への新たな動き縄文文化を体感できる史跡を目指して—千葉県加曽利貝塚—
森本 剛
日本の遺跡・世界の遺跡
宮城県仙台市 沓形遺跡・沼向遺跡斎野裕彦
中華人民共和国 浙江省龍泉市大窯楓洞岩窯址
徳留大輔