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ポスターセッション要旨
第68回総会・研究集会ポ スターセッション題目一覧
◆P-1 装身具に着目した肖像画の分析 -クラーク記念国際高等学校芦屋キャンパスでの実践を事例に-
――○八田友和、荒木虹太、岸本大地、北川智也、小林陽菜、近藤悠矢、新庄翼冴、
西向雅弥、真鍋樹、峯畑絵美、麦田陽菜
本発表は、クラーク記念国際高等学校芦屋キャンパスの生徒が行った「肖像画に描かれた装身具」に着目した研究成果報告である。まず、博物館図録や百人一首などから、肖像画を200事例収集し、そこに描かれている装身具等について分析を行った。次に「装身具が描かれた理由」「肖像画のなかで装身具が果たしている役割」など、複数のテーマを取り上げ探究的に学習したため、その成果を広く発信したいと考えている。
◆P-2 考古学と音楽教育の連携3
――○中村耕作、早川冨美子
縄文土器の文様の施文手法の違いや文様構成を、音素材の違いや音の構成に置き換えて音楽作りを行うプロジェクトの続報。これまでの試行錯誤をふまえ、新たな・独創性のある音楽作りを目指したワークショップの成果と課題を整理する。
◆P-3 東日本における弥生時代の銅鏃
――○西村航希
銅鏃は、日本列島で広く分布した一方、生産が想定できる遺跡が少なく、青銅器の広域流通を検討することができる資料である。
本研究では、東日本における銅鏃の流通を解明することを目的として、銅鏃を平面形態から三角形鏃、五角形鏃、丸形鏃の3種類に分類した。そして、分類の分布と法量から分析を行った。
その結果、先行研究の指摘通り東海地方から関東地方への銅鏃の流通が想定できた。それに加え、北陸地方から関東地方へも銅鏃が流通した可能性を指摘した。
◆P-4 橿原式文様出現前後の縄文土器組成変化
――○加藤温揮
西日本縄文後晩期は土器の無文化が進行するが、晩期初頭において例外的に橿原式文様が増加する。本論は、報告書未掲載土器も含めた実地調査も交えて、関西9遺跡、山陰・瀬戸内4遺跡で、橿原式文様の増加と土器に占める浅鉢の比率の変化を調査した。その結果、関西では橿原式文様の増加期に、浅鉢も2割~3割程度増加する。一方、瀬戸内では橿原式文様の比率が低く、浅鉢の増加率も僅かである。すなわち、橿原式文様の増加は浅鉢を伴う儀礼などの行為の増加を示唆している。
◆P-5 唐古・鍵遺跡出土紡錘車をめぐる諸問題
――○小林青樹、垣内翼、藤田三郎、柴田将幹
奈良県田原本町の唐古・鍵遺跡からは緻密な調査の蓄積により、近畿でも最も大量の弥生時代の紡錘車が出土している。唐古・鍵の紡錘車のデータの統計的な分析で、紡錘車の種類や法量などの傾向が明らかとなり、また、前期から弥生時代終末期までの長期にわたる時期別の遺跡内における出土地点の分布の推移が明らかとなった。特に分布の推移では、特定区域からの紡錘車の出土が顕著となる傾向が明確となり、遺跡内での手工業生産の様相や専業的な布生産に関わる工人集団の存在が想定された。
◆P-6 滋賀県米原市杉沢遺跡の縄文晩期土器棺・遺構分布状況-滋賀県米原市杉沢遺跡2020年発掘調査成果概要-
――○矢野健一、林亮太、迫田圭一郎、菅井佳穂、立命館大学杉沢遺跡発掘調査団、
米原市教育委員会
2020年度の米原市教委・立命館大学による杉沢遺跡発掘調査で縄文晩期合せ口土器棺2基が新たに検出され、昭和初期からの断続的な発掘で累積した総計13基の合せ口土器棺の方位は2020年に発見された最古の篠原式1基を除き、方位がそろう傾向にあることが判明した。2020年度の調査では新たに貯蔵穴の可能性がある土坑やサヌカイト製石器・剥片多数が出土しており、発見された少量の炭化材(枝)はスダジイが多いことがわかった。晩期を通じて存続した杉沢遺跡の集落変遷の概要を報告する。
◆P-7 3歳児を対象とした「マコWS」・「高瀬舟WS」の再検討~「比較」と「模倣」、「自己肯定感の醸成」~
――○鈴木康二、井上翔太、八田友和、三原大史、森田真史
乳幼児の「発達」においては、自身の自発的行為による様々な経験の積み重ねが大切である。今回の報告では、3歳児に対して「真弧・考古資料」「高瀬舟」などを素材として行ったワークショップの内容を振り返りつつ、子どもの月・年齢に即した「発達段階」と照らし合わせながら、「構成主義」および「子どもの発達」を考慮した観点から、活動の内容を再検討する。また、コロナ禍で「接触」に懐疑的な今、「本物の遺物に触る」ということの意義についても整理したい。
◆P-8 弥生時代の中部高地・南関東における鉄剣保有者像
――○鈴木崇司
弥生時代における副葬された鉄製刀剣類、とくに舶載品とされる資料は上位有力者との関係が指摘されてきた。しかし中部高地や南関東では、墳墓の規模や形態、副葬品のセット関係から鉄剣が副葬された墳墓の上位性を見出せず、鉄剣のサイズに基づく差異も認められない。当地域における鉄剣は外部で製作されたものが多く、長距離交易の活発化や貴重財の入手といった先学で評価される成層化の要因を東日本弥生社会で見出すことはできないと考える。
◆P-9 高床倉庫が弥生時代以降に減少した理由
――○小林正史
集落における穀物貯蔵場所は、弥生時代では高床式倉庫が主体だったが、時代が下るにつれてその重要性が低下した。高床倉庫が普及している東南アジア民族誌(筆者が調査した10地域)では、「収穫ナイフで穂首刈りし、結束した頴稲をドア付き高床倉庫に貯蔵する」フィリピン・インドネシアと「高刈りか根刈りし、脱穀後、殻付き籾をバラ状態で高床倉庫(側板を外して出入れ)か大型円筒形バスケットに貯蔵する」ラオス・タイという違いがみられた。よって、弥生以降に高床倉庫が減少した理由として「籾貯蔵法が結束頴稲⇒バラの殻付き籾⇒俵詰めの殻付き籾の順に転換した」ことが想定された。
◆P-10 古墳時代の金工品に見られる文様の継承と転換 -日韓の心葉形唐草文様を主題として-
――○山本孝文
古墳時代後半期の金属製装身具・装飾付環頭大刀・飾馬具などの装飾には、「唐草文」と総称される渦文(蔓文)を伴う植物系文様と、その変形から生まれた各種文様が、基本概念を共有しつつ施された。これらは①列島外の広い地域範囲で汎用された原モデルの忠実な再現品ないし搬入品、②モチーフを理解・意識した上でのアレンジ模倣品、③モチーフの理解欠如による模倣品ないし再模倣品などに分けることができ、その差には王権や外国との関係性などが反映されている。
◆P-11 元禄山陵図の基礎的研究
――○高尾将矢
山陵図は、考古学者の関心が高く文献史学者ではなく考古学者を中心に研究が進められてきた。そうした中で末永雅雄は、山陵図から山陵構造の推定を試みた。だが末永の研究は、山陵図自体の史料批判を十分に行わず使用している点、問題がある。そこで増田一裕は、書写の経緯を体系的にまとめ山陵図の分類行った。しかし新たに確認された伝本との齟齬や増田の研究では、検討が不十分な点がある。そこで本研究は、山陵研究に必要な基礎的資料を提示することを目的とし分類の再検討行い編年観を示した。
◆P-12 遺跡から出土した古代琴の孔とハツリ
――○長谷川愛
弥生時代~奈良時代にかけて出土した琴には、和琴や現在使用されている琴に見られない加工が施されている。上板や側板の中央に小さく空けられた響孔、槍鉋で削った痕を残したハツリ、張った絃を纏める集絃孔、これらの形状を分類し、地域性・時代性を分析した。また、響孔とハツリの音響効果を確認するため、簡易的な実験装置を作成し、音響効果に関するアンケートと録音実験を行った。
音響効果実験はパワーポイント録音・録画して再現する。
◆P-13 中国地方における古墳時代人骨の幾何学的形態測定による分析
――○中川朋美 、吉田真優 、中尾央
本研究では、幾何学的形態測定の手法を用いて、岡山県、広島県、兵庫県から出土した弥生後期~古墳時代の古人骨の頭蓋形状を考察する。頭蓋の三次元データに標識点(ランドマーク)を配置し、この三次元座標値の関係を検討した。結果、各地域・時期で、頭蓋形状にやや異なる傾向が認められた。特に岡山県出土人骨では、古墳時代の前半と比べ、後半の方がより顔面が平坦になり、後頭部が後方に突出する。今後は様々なデータと照合し、形状変化の考古学的意味について考察する必要がある。
◆P-14 縄文土器の色調の変化とその要因
――○迫田圭一郎
縄文土器の外面と内面の色調について、近畿地方の縄文時代中期から晩期にかけての深鉢と浅鉢を対象に土色計SPAD-530を用い、計879点を調査し、土器焼成の差を最も反映する彩度を中心に独自の色調分類を行った。深鉢は、中期は黄色系、後晩期は褐色系、突帯文期は黄色系が主体で、浅鉢は、中期は黄色・褐色系、晩期は黒色が主体となる変化を数量的に視覚化できた。内外面の色調差は、中期・突帯文期は変わらず、後晩期で異なる結果となった。色調変化を客観的に再現可能な形で多量の資料を数値化して色調変化の漸移性を明らかにできた。
◆P-15 農耕開始における住居構造の系譜と転換-東海東部を中心に-
――○佐藤兼理
本研究では農耕開始に伴う、居住空間の利用の変化や住居構造の系譜関係を解明することを目的とする。弥生時代中期の東海東部域では、本格的な水稲耕作の開始に伴って竪穴住居の平面プランが長方形化する変化が見受けられる。背景には濃尾平野東部の竪穴住居が影響していると考えられる。この変化によって、弥生中期後葉~後期初頭にかけて、住居中央部のスペースを広くとる、この地域に特徴的な住居構造が出現することが判明した。
◆P-16 佐久盆地における弥生集落動態とその背景
――○星野宙也
東アジア・列島の原始・古代を通じて周辺地域である列島東部の農耕導入以降の社会進化とその人類史的意義を明らかにすることを目的として、基礎単位となる出自集団関係展開過程を、集落を素材として新たに復元するとともに、その史的意義を東アジア世界における亜周辺地域内での社会進化の多様性および古墳時代開始期の議論との接続から検討した。
◆P-17 西日本出土頭蓋骨9計測項目による主成分分析からみた形態的特徴について
――○宇佐美礼恩
西日本出土縄文・弥生・古墳時代集団に属する男女の頭蓋骨を中心とした数値分析を行った。主成分分析から各時代の形態学的特徴が把握されたほか、ペンローズのサイズおよび形態距離により、渡来系弥生集団のルーツが北東アジアにあることを示唆し、系統論における形態学的アプローチの有用性を確認した。
◆P-18 備讃瀬戸周辺出土イルカ・クジラ類
――○富岡直人、渡邊美保、中村周平、塩井基予美、柳井美穂、駒見真美
縄文時代早期の沿岸部では汽水性貝塚がみられるが鯨類はみられない。海進後、魚類や海棲哺乳類の出土が貝塚でみられるようになり、岡山県笠岡市津雲貝塚に出土例がある。弥生時代前期の香川県志度町鴨部川田遺跡では、ナガスクジラ属の椎骨が2点出土している。形態の似ていたミンククジラと比較をすると、約12mの全長と推定している。本資料は当時3〜4 km程度離れた志度湾、小田湾、津田湾、 5km程度離れた大串岬、あるいはそれ以上遠隔の海岸部から遺跡にもたらされたと考えられる。古代にかけて海上祭祀が行われたと考えられる櫃石島大浜遺跡では、コククジラと考えられる大型クジラ遺存体が出土している。近世~近代には、高松城や岡山藩校で出土例がある上に、伝世資料もある。さらに、考古資料ではないが、捕獲のあり方まで文書に残された資料が存在する。
◆P-19 ネオーパレオデモグラフィ創成のプロトコル
――〇津村宏臣、坂平文博、原尚幸
考古学や歴史学では、過去社会の具体的復原に最も重要な視点に、その「規模」がある。だが、日本列島域においては、特に先史・古代社会の「規模」が具体的な数値(人口と性・年齢構成比)として析出される例は少ない。本研究では、考古資料をデータ基盤に、統計科学や社会モデリングを組みあわせ、列島域での先史・古代の人口や性・年齢比の具体値を確率的に推定、時空間動態シミュレーションによって社会構造やメカニズムの検証を可能とする方法の確率を目指すプロトコルを検討する。