考古学研究会
<考古学研究会事務局>
〒700-0027
岡山県岡山市北区清心町16-37長井ビル201
TEL・FAX 086-255-7840
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会誌『考古学研究』
第57巻 第3号(通巻227号) 2010年12月
展 望
白保竿根田原同区追跡の発掘調査と沖縄における更新世人類研究の現段階山崎真治・片桐千亜紀・米田 穣
「市町村埋蔵文化財行政巡検会」埼玉・ちばラウンドに参加して
大村浩司・吉田 敬
第15回考古学研究会東海例会
「東海地方における古墳出現期の諸相−辻畑古墳出現の背景を考える−」参加記
渡井英誉
日本の歴史教育のおける先コロンブス期アメリカ大陸史とよりグローバルな「真の世界史」
青山和夫・坂井正人・井上幸孝・吉田栄人・多々良穣
岡山市半田山午砲台の復元
木幡廣伸・亀田修一・白石 純
考古学研究会第56回総会研究集会報告(下)
古墳時代における階層構造−その複雑性と等質性−林 正憲
要旨
階層構造を分析する際には,その構造が社会のどのような側面を映し出しているか,その点に留意する必要がある。古墳時代においても,「質」による階層構造や「量」による階層構造に加え,墳丘規模による階層構造と副葬品による階層構造など,多様な階層構造が混在している。それを整理しながら古墳時代を通時的に分析すると,古墳時代前期の複雑な階層構造から,古墳時代後期への等質的な階層構造への変化が見られる。また,墳丘規模による階層構造は地域社会を基盤として成立しているのに対して,副葬品による階層構造は「職掌」を基本とした階層構造を有していることが明らかとなった。これは,古墳時代社会の階層が流動的な状態から固定的な状態へと変遷していく過程を如実に示している。
キーワード
階層構造,複雑性,等質性,地域社会,職掌
聖俗二重王権の構造
石村 智
要旨
王権のもつ祭祀的な側面と政治的な側面が別々の王によって担われる聖俗二重王権は世界各地にみとめられるが,本論ではその構造を理解するために,ポリネシアのトンガにおける事例を採り上げて分析した。その結果,その社会構造において女性と男性に象徴される二重構造が存在することが示され,二重王権の条件として①双系的なラメージ制,②「女性」—「男性」原理による二項モード,③威信財システムの存在,の三点を抽出することができた。次に同じポリネシアのサモアおよびハワイの事例と比較し,これらの社会では明瞭な二重王権はみとめられないものの,聖—俗が二分化する構造が共通してみとめられることが示された。最後に日本列島における琉球王国および邪馬台国・古代日本の事例と比較し,これらの社会には二重王権が存在した可能性が高いことを示した。その背景として日本とオセアニアが潜在的に文化的なつながりを有することが想定される。
キーワード
二重王権,ラメージ制,二項対立,非対称交換,威信財システム
考古学研究会第56回総会研究集会報告 コメントと全体討議
論 文
東北地方のナイフ形石器−秋田県域後期旧石器時代前半期の事例から−吉川耕太郎
要旨
近年,東北日本の後期旧石器時代に関する編年・石器研究が再び活発化しつつある。そこで,本論では東北地方北部日本海側に位置する秋田県域の後期旧石器時代前半期のナイフ形石器を検討した。各遺跡出土のナイフ形石器を,遺跡ごとに形態分類し,形態組成とサイズの検討から3つの遺跡類型を捉えた。これらの類型は形態学的・技術的検討と他地域との比較から古相・新相と時期的に位置付けられた。従来,当該地方のナイフ形石器は斉一的な形態的特徴が主張される傾向にあった。本研究により前半期古相では二つの形態が組成し,サイズにはばらつきが見られた。新相では五形態に多様化を果たすが,サイズは小形品にまとまりを見せ,断面面積も小さくなる。古相から新相にかけての基部形態の差異に着柄法の変化を,サイズの小形規格化の背景にはナイフ形石器の「小型狩猟具」としての機能的特化を考えた。また,接合例や個体別資料の分析から,古相のナイフ形石器は「遺跡外搬入品」が主体となる一方,新相には搬入品に加えて,製作と遺棄の場が同一の「遺跡内生産品」がまとまる傾向を指摘できた。ナイフ形石器を検討する際に,形態やその組成,法量とあわせて,製作と遺棄の場の関係性を考古学的文脈の中で理解する必要性を示した。ナイフ形石器は,近年,器種の枠組みや定義について見直し論が提起されているが,本論はそうした議論にも益することができよう。
キーワード
後期旧石器時代前半期,ナイフ形石器,形態組成,法量,遺跡類型
縄文から弥生へ−岡山平野のケースから−
草原孝典
要旨
突帯文期から弥生前期における水田稲作の定着過程について,中部瀬戸内に位置する岡山平野をモデルケースとして検討した。まず,突帯文期において水田稲作が行われていることの考古学的な根拠となる水田遺構と農耕具に使用されたとされる石器を検討した結果,いずれも水田稲作の存在を示す確実な根拠にはならないことが明らかとなった。そのため,突帯文期は狩猟採集民の時代とするが,弥生前期にも突帯文土器や石匙,石棒などの縄文系の石器が認められることや,突帯文土器を直接模倣した弥生土器が存在することからも,農耕民と狩猟採集民が並存していると考えられた。そうすると,弥生前期は,農業経営に成功した農耕民,失敗した農耕民,狩猟採集民が並存する複雑な集団関係が形成されており,とくに食料事情が悪化する季節には軋轢を生じやすい状態であったと推測する。そのため,環濠集落が出現したが,弥生前期の中で終焉しており,その軋轢は新たな水田開発へと向かうための集団の再編によって止揚されたと考えられる。そして,その再編によって狩猟採集民も完全に農耕民化したのである。
キーワード
狩猟採集民,農耕民,集団間の軋轢,環濠集落,水田開発
研究ノート
鳥居龍蔵の朝鮮半島調査実施時期をめぐって石尾和仁
要旨
鳥居龍蔵は,明治43(1910)年の予備調査を経て,翌年から朝鮮総督府嘱託として朝鮮半島調査にたずさわる。その調査行程は,これまで自叙伝である『ある老学徒の手記』に依拠して論じられることが多かった。しかし,鳥居と親交のあった安藤正楽宛て書簡などから,その調査時期について再考の余地のあることが判明した。その結果,第1回の咸鏡道調査は1911年7月〜1912年3月,第2回の鴨緑江付近の調査は1912年10月〜1913年3月,第3回は1914年1月〜7月,第4回は1915年8月〜12月で,帰途対馬に立ち寄っている。第5回は1916年9月〜12月,第6回は1917年10月〜1918年1月のことであった。朝鮮総督府と距離をおくようになったと回顧している時期である1920年と1932年にも朝鮮半島を訪れている。
キーワード
鳥居龍蔵,朝鮮総督府,朝鮮半島調査,『ある老学徒の手記』,安藤正楽
書 評
梶原義実著『国分寺瓦の研究 考古学からみた律令規生産組織の地方的展開』菱田哲郎
稲田孝司編『恩原1遺跡』・稲田孝司著『旧石器人の遊動と植民・恩原遺跡群』
池田 晋
新刊紹介
森先一貴著『旧石器社会の構造的変化と地域適応』考古学の新地平
戦争遺跡を問い直す(3)楽園と戦争の考古学−パラオにおける水中戦争遺跡の調査−石村 智
地域情報
高知だより久家隆芳
日本の遺跡・世界の遺跡
島根県松江市 サルガ鼻洞窟遺跡柳浦俊一
インド・グシャラート州 カーンメール遺跡
総合地球環境学研究所 インダス・プロジェクト