考古学研究会
<考古学研究会事務局>
〒700-0027
岡山県岡山市北区清心町16-37長井ビル201
TEL・FAX 086-255-7840
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会誌『考古学研究』
目次
第58巻 第3号(通巻231号)
2011年12月
展 望
特集 震災に向き合う考古学(1) 災害と人間社会東日本大震災による遺跡・文化財の被害と考古学
富岡直人
東日本大震災による岩手県の遺跡等被害状況と諸課題について
相原康二
弥生時代の防災遺構
岸本道昭
考古学研究会第57回総会講演
私たちはどこにいるか—現代考古学の国際比較から—岡村勝行
考古学研究会第57回研究集会報告要旨
日本考古学の時代区分内田好昭
要旨
日本考古学の時代区分を論じて,その空間認識の特質を明らかにする。文化史的考古学における時代区分とは,世界標準の発展段階の枠組に地域的な限定を与えた時に出現する。また,この地域の限定は社会集団の占有範囲に関連付けられてきた。日本考古学における時代区分の変化をあとづけると,かつての民族交替論の枠組では社会集団は個々の時代と関連付けられ,時代区分を可能にする地域の限定は単に場所の限定にとどまっていた。1930年代に山内清男らによって示された枠組では,社会集団と関連付けられているのは「固有空間」とでもいうべき地域的広がりである。敗戦*占領という社会変動はこの枠組みを支持し,それが現在に及んでいる。このような日本考古学の「固有空間」理解を乗り越えるために文化史的考古学に残された可能性は,文化の空間的広がりについて議論を深め,空間の変容をあとづけてゆくことである。他方,民族交替論とは異なったやり方で,「場所」の考古学を構想する方途も残されている。
キーワード
文化史的考古学,時代区分,社会集団,チャイルド,民族交替論
「世界」史の中の弥生文化−環境・認知・文化伝達−
松木武彦
要旨
本論は,日本考古学における「弥生時代」および「弥生文化」の概念が,学史上いかにして形成され,考古学的にはいかなる内容をもっており,今後日本考古学を発展させる上でいかほどの意味をもっているのかを再考した。
第一に,「時代」や「文化」という思考法自体が,ヒトが進化的に獲得したカテゴリー化という認知的資質の限界から逃れられないものであり,資料の実態と刷り合わせるために,終わりのない細分化や境界補正の試みが必要とされることを指摘した。
第二に,「弥生文化」とは,チャイルドに始まる考古学的概念としての「文化」ではなく,日本の考古学が第二次世界大戦を挟んで一国史的性格を強めていく過程で「水田稲作」という一個の要素に単純化された概念であり,日本史を離れて東アジア史や人類史においては有効性をもたないものと評価した。
第三に,「弥生時代」については,紀元前数世紀間に顕在化した温暖化を背景にユーラシアの東西で古代帝国文明が生じ,日本列島やブリテン島などの周縁部において,大陸に面した側と後背地との間に著しい文化格差が顕在化する時期として人類史的に位置づけることが可能であることを示唆した。
第一に,「時代」や「文化」という思考法自体が,ヒトが進化的に獲得したカテゴリー化という認知的資質の限界から逃れられないものであり,資料の実態と刷り合わせるために,終わりのない細分化や境界補正の試みが必要とされることを指摘した。
第二に,「弥生文化」とは,チャイルドに始まる考古学的概念としての「文化」ではなく,日本の考古学が第二次世界大戦を挟んで一国史的性格を強めていく過程で「水田稲作」という一個の要素に単純化された概念であり,日本史を離れて東アジア史や人類史においては有効性をもたないものと評価した。
第三に,「弥生時代」については,紀元前数世紀間に顕在化した温暖化を背景にユーラシアの東西で古代帝国文明が生じ,日本列島やブリテン島などの周縁部において,大陸に面した側と後背地との間に著しい文化格差が顕在化する時期として人類史的に位置づけることが可能であることを示唆した。
キーワード
弥生文化,弥生時代,考古学的文化,環境史,グローバル・ヒストリー
論 文
荒川第型細石刃石器群の形成と展開−稜柱系細石刃石器群の生成プロセスを展望して−
佐藤宏之
要旨
後期旧石器時代後半期に出現した日本列島の細石刃石器群は,削片系・船底系・稜柱系の三つに大別される。削片系は,バイカル湖周辺を中心としたシベリア南部に起源があり,北海道には21ka頃に到達した。一方稜柱系は従来漠然と列島起源と考えられてきたが,最近華北起源説(華北→九州)が提唱されている。ところで,荒川台技法を保有する細石刃石器群は従来等閑視されてきたが,最近類例が報告され,その実態が明らかにされつつある。この荒川台型細石刃石器群は,北海道最初の前期前葉細石刃石器群(蘭越・美利河・峠下)の技術情報が東北地方に伝播して生成された細石刃石器群で,残核の最終形態は稜柱形を呈する。この細石刃石器群を媒介として,中部・関東の稜柱系細石刃石器群の生成が促されたとする新規の仮説を提起したい。
キーワード
後期旧石器時代後半期,荒川台型細石刃石器群,稜柱系細石刃石器群,削片系細石刃石器群,北海道前期前葉細石刃石器群
研究ノート
上定形石器の使用痕・剥離面分析−石器の技術・機能形態学の統合試論−高橋 哲
要旨
青森県青森市円筒下層式期,新町野遺跡土坑出土の上定形石器の使用痕分析の結果,剥離面の種類・方向によって,使用痕の有無に違いがみられた。刃部・整形加工などに応じて複数の剥離面が組み合わされていることが明らかになった。上定形石器の用途が動物関連に用いられる傾向が強いことが判明した。比較資料として取り上げた石匙は?物に対して用いられた場合が多く,上定形石器と対照的である。
キーワード
使用痕,剥離面,刃部加工,整形加工,用途
焼失住居からみた弥生時代の竪穴住居
馬路晃洋
要旨
大山山麓の弥生時代後期から終末期の竪穴住居について,平面形及び主柱配置,床面積の関係から,円形及び隅丸多角形と隅丸方形の竪穴住居には,設計原理に違いがあったことを指摘した。さらに,このような設計原理の違いと上屋構造との関係について,焼失住居から出土した炭化材で検討した。
その結果,円形や隅丸多角形の焼失住居からは,母屋桁と考えられる部材が出土するが,隅丸方形の焼失住居からは母屋桁と推定できる部材はほとんど出土しない。このことから,前者は地上から扠首を組む構造,後者は桁の上で束か扠首を組む構造であったと考えた。
その結果,円形や隅丸多角形の焼失住居からは,母屋桁と考えられる部材が出土するが,隅丸方形の焼失住居からは母屋桁と推定できる部材はほとんど出土しない。このことから,前者は地上から扠首を組む構造,後者は桁の上で束か扠首を組む構造であったと考えた。
キーワード
弥生時代,竪穴住居,焼失住居,炭化材
書 評
小野林太郎 編『海域世界の地域研究−海民と漁撈の民族考古学−』石村 智
金子守恵 著『土器つくりの民族誌−エチオピア女性職人の地縁関係−』
長友朋子
ココが知りたいッ!考古学の最前線 土器機能研究の最前線 小林正史
(聞き手 纐纈文佳・山田侑生・吉田 広)
地域情報
山口だより −大内氏館跡の調査・整備・活用を中心に−北島大輔
日本の遺跡・世界の遺跡
鹿児島県中種子町 立切遺跡ほか3遺跡山元謙一・川口雅之
香川県高松市 船岡山古墳
徳島文理大学文学部・高松市教育委員会
ミクロネシア連邦 ポンペイ島のナン・マドール遺跡
片岡 修
考古学研究会第57回研究集会報告
委員会の窓
会員つうしん・委員会つうしん