考古学研究会
<考古学研究会事務局>
〒700-0027
岡山県岡山市北区清心町16-37長井ビル201
TEL・FAX 086-255-7840
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会誌『考古学研究』
目次
第60巻 第2号(通巻238号)
2013年9月
展 望
国宝高松塚古墳壁画修理作業室の公開参加記杉本 宏・肥後弘幸
考古学研究会第59回総会研究集会報告(上)
遺跡調査と保護の60年—変遷と特質—坂井秀弥
要旨 日本では遺跡保護を目的とした行政の調査が大半を占め,その規模は世界屈指とされる。調査の大半は市町村を含めた地方行政が担い,研究者の多くがそこに属していることに際だった特徴がある。地方行政主体の体制は1964・65年の国の方針により整備されたが,2004年の構造改革はその根底を変える側面がある。地方行政が主となる背景には,地域の遺跡は自らの祖先の遺跡と認識されていることや,戦前から地域で遺跡調査に取り組む環境があったことが大きいと考える。行政の調査により多様な遺跡が発見され考古学・歴史研究に大きな役割を果たしたが,埋蔵文化財行政を担う人材の養成と考古学の将来を考えるとき,大学と行政の連携が今後の大きな課題であろう。
キーワード 埋蔵文化財保護行政(埋文行政),記録保存調査,地方行政主体,郷土意識,構造改革
パブリック・アーケオロジーの観点から見た考古学,文化財,文化遺産
松田 陽
要旨 今日の日本のパブリック・アーケオロジーには,教育的・広報的アプローチが強く,多義的・批判的アプローチが弱いという全体傾向が見られる。日本の考古学の教育・広報活動は世界的に見てもかなり充実しているのに対し,多義的・批判的アプローチが誘発するようなメタレベルでの考古学と社会との関係の分析はあまり盛んに行われていない。本稿ではこのことを踏まえて考古学と文化財と文化遺産の相互関係をメタレベルで考察する。
キーワード パブリック・アーケオロジー,文化遺産,文化財,埋蔵文化財,メタレベルの分析
論 文
縄文時代後晩期の伊豆・箱根・富士山の噴火活動と集落動態
杉山浩平・金子隆之
要旨
縄文時代後期から晩期の伊豆・箱根・富士山周辺地域の集落動態の消長を火山噴火による環境の変化と位置づけた。既往の発掘調査報告と筆者等が行った神奈川県五反畑遺跡の調査を通じて,テフラと考古資料の層位的検討から噴火時期を推定し,土器付着炭化物の年代測定からその暦年代を求めた。また,火山学の研究成果を用いて,テフラの編年とその暦年代に考古資料との整合を求め,噴火年代の妥当性を検証した。その結果,縄文時代後期中葉(加曽利B2式:BC1600〜1500)から後期末葉(安行2式・清水天王山下層2式:BC1400〜1300)のおよそ200〜300年間に連続的に火山噴火活動が生じたことが明らかとなった。こうした火山活動に加え,地震も頻繁に起きていたことから,自然災害による環境変動が当該地域おける集落数の減少の引き金になったと推定した。
キーワード
縄文時代後期・晩期,伊豆・富士・箱根火山噴火,テフラ分析,AMS放射性炭素年代,自然災害
リモートセンシングによる石垣島サンゴ礁形成史の地域差推定 —先史資源利用研究に向けて—
小林竜太・山口 徹・山野博哉
要旨
八重山諸島の先史時代は,文化的空白期をはさんで下田原期と無土器期に大別される。サンゴ礁資源は両先史文化期を通じて積極的に利用されてきたと想定されているが,サンゴ礁の形成史は一つの島嶼でさえ地域差が生じることが知られている。そこで本稿では,石垣島サンゴ礁の現在のバリエーションを形成史の代替指標として評価した上で,地球科学的研究による礁嶺等の年代測定結果を援用し,文化期ごとのサンゴ礁発達の地域差を推定した。こうしたサンゴ礁発達の地域差から石垣島先史遺跡の空間分布を評価した結果,発達したサンゴ礁地形の形成が遺跡立地の前提条件ではかならずしもないことが明らかとなった。狩猟採集段階の先史資源利用といえども,島ごと地域ごとに異なる特性が把握されるべきであろう。
キーワード
サンゴ礁形成史,リモートセンシング,遺跡立地,先史資源利用,八重山諸島
黒曜岩の語源
春成秀爾
要旨
宋代,1070年の蘇頌『本草図経』に,?州から白羊石と黒羊石を産するという記述がある。白羊石は羊の角の形をしたおそらくオウムガイの白い化石のことである。黒羊石はその黒い化石のことであろう。黒羊石の語は,江戸時代に李時珍『本草綱目』を通して日本にはいってきた。1612年に林羅山は,黒羊石を「黒く光る石」と想像した。1751-1763年に佐渡奉行所は,佐渡産の黒曜石を「コクヨウセキともいう」と述べ,1773年の木内石亭『雲根志』では,黒羊石と黒曜石は同種である。1779年に太田南畝は,「佐州黒曜石」の存在を記している。佐渡奉行所の金山関係者は,佐渡の黒曜石を黒羊石と誤解し,黒く輝く石にふさわしい「黒曜石」の語に変えたのであろう。
欧米の学問体系を受け容れた明治時代,1878年に和田維四郎は?Obsidian?の訳に「黒曜石」を採用した。考古学では1886年頃から「黒曜石」を使用するようになった。「曜」は日のように光り輝くという意味である。その後,鉱物学・岩石学では,鉱物を「石」,岩石を「岩」と区別するようになり,1935年頃から「黒曜岩」が学術用語となり,1982年には文部省学術審議会は「黒曜岩」を学術用語に制定した。考古学は,その重みを認識し「黒曜石」を「黒曜岩」に改めるべきであろう。
欧米の学問体系を受け容れた明治時代,1878年に和田維四郎は?Obsidian?の訳に「黒曜石」を採用した。考古学では1886年頃から「黒曜石」を使用するようになった。「曜」は日のように光り輝くという意味である。その後,鉱物学・岩石学では,鉱物を「石」,岩石を「岩」と区別するようになり,1935年頃から「黒曜岩」が学術用語となり,1982年には文部省学術審議会は「黒曜岩」を学術用語に制定した。考古学は,その重みを認識し「黒曜石」を「黒曜岩」に改めるべきであろう。
キーワード
黒曜石,黒羊石,黒曜岩,語源,考古学,学術用語
書 評
山岡拓也著『後期旧石器時代前半期石器群の研究—南関東武蔵野台地からの展望—』森先一貴
新刊紹介
安蒜政雄著『旧石器時代人の知恵』日本の遺跡・世界の遺跡
奈良県高市郡明日香村 史跡・名勝飛鳥京跡苑池東影 悠
ミャンマーの考古遺跡
青木 敬